しろけの備忘録ブログ

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革命防衛隊と国軍、イラン攻撃を受けて統合に向かう二軍体制

※本記事は2026年9月時点の情勢をもとにしています。

以前、「革命防衛隊 vs 国軍:知られざるイラン軍内部の微妙なパワーバランス」という記事を書いた。

2025年6月、イスラエルによるイラン攻撃が始まった直後のことである。当時の記事では、革命防衛隊(IRGC)が司令官やミサイル関連施設に大きな損害を受ければ、もう一つの軍隊である国軍(Artesh)が相対的に浮上する可能性があるのではないか、と書いた。

あれから1年以上が経った。

実際に起きたことは、少し違った。

革命防衛隊は2025年の戦争で深刻な打撃を受け、2026年に始まった米国・イスラエルとの戦争でも再び多数の幹部を失った。それでも革命防衛隊という組織そのものは崩れず、ミサイルやドローンによる反撃を継続した。そして戦争が長引くにつれ、むしろイランの軍事・安全保障政策における革命防衛隊の存在感は強くなっている。Reutersは2026年3月、革命防衛隊が戦争開始後、主要な意思決定に以前より深く関与するようになったと報じている。

一方、国軍が革命防衛隊に代わって軍事の主導権を握った形跡はない。

そして2026年8月、イランでは両軍を束ねる上位の指揮機構を統合する動きまで始まった。

イランの「二軍体制」はなくなろうとしているのだろうか。

結論からいえば、そうではなさそうだ。

革命防衛隊と国軍という二つの組織は残す。その一方で、戦争を遂行するための指揮系統は一本化する。しかも、その統合は革命防衛隊の政治的影響力が以前より増した状況で進んでいる。

イランの二軍体制は、対立する二つの軍が並ぶ構造から、革命防衛隊優位のまま一体運用される構造へ変わりつつあるように見える。

そもそもイランの二軍体制は「対等な二軍」ではなかった

イランには、普通の国軍に相当するArteshと、イスラム革命防衛隊(IRGC)という二つの大きな軍事組織が存在する。

この二重構造は1979年のイスラム革命に由来する。

革命後の新政権は、パフラヴィー王朝時代から存在していた国軍を完全には解体しなかった。一方で、旧体制とのつながりを持つ国軍だけに新しい体制の防衛を任せることもできなかった。そこで革命とイスラム共和国体制そのものを守る組織として作られたのが革命防衛隊だった。

この役割分担は現在のイラン憲法にも残っている。第143条は国軍に国家の独立と領土保全を守る役割を与え、第150条は革命防衛隊を「革命とその成果」を守る組織として存続させることを定めている。

ただし、制度上二つの軍があるからといって、両者が同じ重みを持ってきたわけではない。

戦車や戦闘機、通常型の海軍、国土防空など、伝統的な正規軍の仕事は国軍が担ってきた。一方、弾道ミサイル、長距離ドローン、国外で活動するコッズ部隊、地域の代理勢力との関係、国内治安を担うバスィージなど、イラン政権が政治的・戦略的に重視する能力の多くは革命防衛隊側に集められてきた。

米国防大学系のNESA Centerが2026年に公表した分析では、この関係を「managed subordination(管理された従属)」と表現している。

国軍を弱体化させて役に立たなくするわけではない。国土を守れるだけの能力は持たせる。しかし、独立した政治勢力として政権を脅かせるほどの力は与えない。

つまり、もともとの二軍体制からして「革命防衛隊と国軍が対等に競争する制度」というより、政治的には革命防衛隊を優位に置いた二重構造だった、と考えたほうが実態に近い。NESAの分析でも、国軍は規模こそ大きいものの、政権にとって政治的・戦略的価値の高い能力は革命防衛隊側に置かれてきたとしている。

それでも戦争前までは、二つの軍はそれぞれ独自の組織として存在していた。

この構造を大きく揺さぶったのが、2025年以降の戦争だった。

2025年の戦争で、二軍を別々に動かす弱点が露呈した

2025年6月、イスラエルはイランに対して大規模な航空攻撃を実施した。

特に目立ったのが、イラン軍上層部に対する「斬首攻撃」だった。革命防衛隊司令官や空宇宙軍司令官をはじめ、多くの高級将校が短期間に死亡した。

当時の私は、ここから革命防衛隊の影響力が低下し、国軍の立場が相対的に強くなる可能性を考えていた。

しかし、戦後にイランが始めたのは国軍への権限移譲ではなかった。

まず進められたのは、軍事的な意思決定をまとめることだった。

2025年8月、イランはイラン・イラク戦争期に存在していた「国防評議会(Defence Council)」を復活させた。Reutersによれば、その目的は国防計画を中央で検討し、軍全体の能力を強化することにあった。12日間の戦争を経験した直後の制度改革だったことを考えれば、戦時の意思決定をより集中させる狙いがあったと考えるのが自然だろう。

これは後の動きを考えると重要である。

革命防衛隊と国軍を統合する動きが突然2026年に始まったわけではない。2025年の戦争直後から、二つの軍をどう効率的に動かすかという問題はすでに意識されていた。

革命防衛隊は大打撃を受けても、戦争を続けられた

さらに大きな転換点になったのが、2026年2月末に始まった米国・イスラエルによる大規模攻撃だった。

この攻撃でも、革命防衛隊は上層部に大きな損害を受けた。

普通に考えれば、司令官を繰り返し失った組織は混乱する。革命防衛隊が弱体化すれば、その穴を国軍が埋める展開もあり得そうに見える。

ところが、革命防衛隊はそう簡単には崩れなかった。

Reutersの取材によれば、革命防衛隊は指導部が攻撃される事態を以前から想定し、指揮権を下級部隊まで分散していた。それぞれの司令官について複数段階の後継者を事前に決め、上官が死亡しても次の人物がすぐ指揮を引き継げる仕組みを作っていたという。

実際、2026年の攻撃で最高幹部を失った後も、革命防衛隊はミサイルやドローンによる攻撃を続けた。

Reutersが取材したイラン・地域関係者6人は、戦争開始後、革命防衛隊がイランの主要な意思決定に以前より大きく関与するようになったと証言している。

ここが、2025年に私が予想していた展開との大きな違いだった。

革命防衛隊は「被害を受けなかったから強くなった」のではない。

むしろ深刻な被害を受けた。

それでも組織を維持し、反撃を続けた。その結果、戦争を続けるうえで革命防衛隊が欠かせない組織であることを、逆に示す形になった。

国軍が得意とする「普通の戦争」の価値は相対的に下がった

革命防衛隊が生き残ったことだけでは、国軍が浮上しなかった理由をすべて説明できない。

もう一つ大きかったのが、今回の戦争で何が実際に役に立ったのか、という問題である。

国軍が主に持っているのは戦闘機、防空システム、戦車、通常型の艦艇といった伝統的な通常戦力だ。

ところが米国やイスラエルを相手にした航空戦では、こうした通常戦力が厳しい状況に置かれた。

NESA Centerの分析は、2025年と2026年の戦争によって、国軍が担ってきた通常戦能力が不均衡に大きな損害を受けたと評価している。その一方で、戦後のイランが敵にコストを与える手段として残ったのは、分散配置されたミサイルやドローンなど、革命防衛隊が握る兵器体系だったという。

もちろん、これは「革命防衛隊だけが無傷だった」という意味ではない。革命防衛隊のミサイル部隊や海軍も大きな損害を受けている。

それでも、イランが米国やイスラエルに対して直接反撃する手段を考えれば、弾道ミサイル、ドローン、機雷、ホルムズ海峡における非対称戦といった能力の比重は高い。

2026年9月に再び米国とイランの大規模な攻撃の応酬が起きた際も、イラン側の反撃の中心はミサイルとドローンだった。

極端に言えば、国軍が得意とする「普通の軍隊同士の戦争」で米国やイスラエルと正面から戦うことが難しくなるほど、革命防衛隊が長年整備してきた非対称戦力の価値が上がってしまう。

革命防衛隊が弱体化したから国軍の出番が増える、という単純な話にはならなかった。

ハメネイ死後、軍事だけでなく政治でも革命防衛隊の比重が増した

2026年の戦争では、さらに大きな出来事が起きた。

長年イランの最高指導者だったアリー・ハメネイが死亡したことである。

ハメネイは単なる国家元首ではない。革命防衛隊、国軍、聖職者、政府など、イスラム共和国を構成する複数の権力集団の上に立ち、最終的な調整を行う存在でもあった。

その人物が突然いなくなった。

後継の最高指導者には息子のモジュタバ・ハメネイが就いたが、戦時下の実際の権力構造は以前とはかなり違うものになったようだ。

Reutersは2026年4月、主要な戦争方針や政治判断が革命防衛隊と最高国家安全保障評議会を中心とする安全保障機構に集中し、モジュタバは父親ほど強力な単独の意思決定者にはなっていないと報じた。

つまり革命防衛隊は、軍事組織として生き残っただけではない。

最高指導者による強力な調停が弱まったことで、国家の意思決定そのものに対する影響力も増した。

NESA Centerも、アリー・ハメネイの死によって各勢力を均衡させていた人物が消え、安全保障・軍事部門が優位になる流れが加速したと分析している。

この環境で国軍だけが政治的に浮上する余地は、むしろ小さくなったと考えられる。

そして「二つの軍を動かす頭」を一つにし始めた

こうした流れの先にあるのが、2026年8月の軍上層部再編である。

8月10日、最高指導者モジュタバ・ハメネイは、新しい国軍統合参謀本部(AFGS)トップのアリー・アブドッラーヒーに対し、AFGSと「ハータム・アル=アンビヤ中央司令部(KOACH)」の統合を完了するよう命じた。

少し分かりにくいので、役割を簡単に整理したい。

AFGSは、革命防衛隊と国軍を含めたイラン軍全体の戦略や軍事政策を調整する組織である。

一方のKOACHは、戦争が始まった際に実際の統合作戦を指揮する司令部だ。

もともと両者は一体の組織だったが、アリー・ハメネイが2016年に分離していた。それを今回、再び一つに戻そうとしている。ISWとCritical Threats Projectは、統合によって革命防衛隊と国軍の調整を改善し、重複を減らし、戦時の意思決定を速くする狙いがあると分析している。

つまり現在進んでいるのは、革命防衛隊と国軍そのものの合併ではない。

二つの軍は残す。

その上で、二つの軍を動かす「頭」を一つにするという再編である。

2025年、2026年と続けて司令官を狙った攻撃を受けたイランからすれば、これはかなり現実的な改革でもある。

革命後のイランが二つの軍を持った理由には、政治的な相互監視という意味があった。しかし実際に米国やイスラエルと戦争を続けるとなれば、複数の司令部が並立し、軍事政策と実際の作戦指揮が分かれていることは弱点になり得る。

平時の体制防衛に合理的だった仕組みが、戦時には非効率になる。

二軍体制そのものを廃止せず、その非効率だけを減らそうとしているのが現在の再編なのだろう。

統合指揮のトップにも革命防衛隊の色が見える

さらに興味深いのが人事である。

新しいAFGSトップとなったアリー・アブドッラーヒーは、過去に革命防衛隊空軍の副司令官を務めた経歴を持つ。治安・内務分野での経験も長く、純粋な国軍出身者ではない。

一方、副参謀長には国軍地上軍出身のキオマルス・ヘイダリが入った。

この人事だけを見て「国軍が革命防衛隊の指揮下に入った」と言うのは強すぎる。

革命防衛隊司令官が国軍司令官へ直接命令するような組織改編が行われたわけではない。両軍は今も別の組織であり、それぞれの司令系統も残っている。

ただ、革命防衛隊出身者を含む上位の統合指揮機構が両軍をまとめ、その下に国軍出身の幹部も組み込む形になっているのは確かである。

そこに、戦争を経て革命防衛隊の政治的発言力そのものが増している状況を重ねると、現在の方向性が見えてくる。

国軍を革命防衛隊へ吸収するわけではない。

国軍という組織は残しながら、革命防衛隊優位の安全保障体制の中で、一体的に動かす方向へ進んでいる。

二軍体制はなくならない。ただし「二つの独立した軍」ではなくなっていく

では、イランの二軍体制は今後なくなるのだろうか。

少なくとも2026年9月時点では、その可能性は低そうだ。

国軍には数十万人規模の人員と陸海空・防空戦力があり、イランの国土そのものを守る仕事がある。これを革命防衛隊へ丸ごと吸収する必要性は乏しい。

憲法上も両者は別々の役割を持つ組織として規定されている。

一方で、二つの軍がそれぞれ独立した方向を向き、上層部だけが調整する従来型の二軍体制も変わりつつある。

2025年の戦争後には国防評議会が復活し、2026年には軍事戦略を作る組織と統合作戦を指揮する組織の統合まで始まった。

同時に、革命防衛隊は深刻な損害を受けながらも組織を維持し、ミサイルやドローンによる継戦能力を示した。最高指導者の交代後には、政治的な意思決定への影響力も強まっている。

NESA Centerが言う「管理された従属」は戦争前から存在していた。しかし2025年と2026年の戦争は、その関係を弱めるより、むしろ補強したというのが同分析の結論である。

2025年の記事を書いた時点では、革命防衛隊が攻撃で弱れば国軍が相対的に浮上する可能性もあると考えていた。

実際には逆だった。

革命防衛隊が傷ついても国軍がその役割を代替できたわけではなく、イランは残されたミサイル・ドローン・非対称戦能力へさらに依存した。そして戦争を効率的に続けるため、両軍を束ねる上位指揮系統の統合まで進め始めた。

イランの二軍体制は消えようとしているのではない。

二軍の看板を残したまま、一つの戦争機構として動く方向へ変わろうとしている。

そして、その統合された軍事・安全保障体制の中で、現在もっとも大きな政治的・戦略的影響力を持っているのは、やはり革命防衛隊なのである。


参考資料

政府の支援1500億円、復興割より被災者に直接配ったほうが良い?復興割の意図と課題

この記事は2026年8月30日時点で公表されている情報をもとにしています。九州ふっこう応援割の予約開始日や実施期間の詳細は、今後各県から発表される予定です。

2026年7月28日に発生した令和8年熊本地震を受け、政府は8月28日、「被災者の生活となりわい支援」のために総額1,478億円の予備費を使うことを決めた。

その中には、九州への旅行・宿泊料金を割り引く「九州ふっこう応援割」も含まれている。10月1日宿泊分以降を対象に、熊本県と鹿児島県では旅行代金の60%、ほかの九州5県では50%を補助する制度だ。予算は約151億円である。[^1] [^2]

こうした制度が発表されると、次のような意見が出てくる。

まだ避難生活を続けている人や、元通りの生活に戻れていない被災者がいる。それなのに1500億円も使って観光客の旅行代を税金で安くするくらいなら、そのお金を被災者に直接配ったほうが良いのではないか。

生活再建の途上にある人を見れば、そう感じるのは自然だと思う。

ただし、この意見には二つの問題がある。

一つは、1,500億円のすべてが復興割に使われるわけではないこと。もう一つは、被災者への直接支援と復興割では、そもそも対応しようとしている「被害」が違うことだ。

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日本は「古代のEU」として始まったのか

海洋ネットワーク、妥協首都、自己強化から考えるヤマト王権

古代史の説明は、なぜか腹に落ちにくい。

「卑弥呼は諸国に共立された」 「各地に前方後円墳が広がった」 「ヤマトを中心とする首長連合が成立した」

そう説明されれば、知識としては理解できる。しかし、なぜ筑紫や吉備、東海の有力者たちがその秩序に参加したのか、なぜ中心がヤマトだったのか、なぜその王都が奈良盆地の纒向だったのかという、人間の側の動機が見えてこない。

そのため結局、「研究者がそう言っているなら、そうだったのだろう」で終わってしまう。

そこで本稿では、問いの立て方を変えてみたい。

古代人を、祭祀や威信だけで動く特殊な人々として見るのではなく、現代人と同じように、

  • 戦争は減らしたい
  • 重要物資を安定して入手したい
  • 遠隔地とも交易したい
  • 自分たちの自治権は守りたい
  • ただし、ライバル一国に全権を握らせたくはない

と考える政治的プレイヤーとして見る。

すると、初期倭国とヤマト王権の成立は、現代にも繰り返し現れる組織形成のパターンとして、かなり理解しやすくなる。

統一国家は、最初から統一を目指して作られるとは限らない

現代のEUの直接的な源流の一つは、1951年に設立された欧州石炭鉄鋼共同体である。

最初から「ヨーロッパを一つの国家にしよう」と始めたわけではない。フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国が、産業と軍事の基盤だった石炭と鉄鋼を共同管理し、再び戦争が起きにくい相互依存関係を作ろうとした。その限定的な共同事業が、より広い経済協力、共同市場、そして現在のEUへと発展した。

重要なのは、共同体が「崇高な統一理念」だけから生まれたのではなく、まず具体的な問題を共同で処理した方が各国にとって得だったことである。

この構造を初期倭国に当てはめると、かなり分かりやすい。

弥生時代末の列島には、北部九州、吉備、出雲、畿内、東海など、それぞれ独自の基盤を持つ有力な地域政治勢力があったと考えられている。彼らがいきなり「日本という統一国家を作ろう」と思った必要はない。

まず必要だったのは、もっと具体的な共同事業だったのではないか。

大陸との外交窓口をどうするか。 朝鮮半島由来の鉄や威信財をどう安定供給するか。 地域間の戦争をどう抑えるか。 長距離の交易路をどう維持するか。

前田晴人は、あくまで復元私案であると断ったうえで、倭国乱ののちに諸国の首長層が「倭国同盟」を作り、北部九州側が握っていた対外交渉機能を平和的に移し、鉄や威信財の安定供給システムを構築しようとしたのではないかと論じている。さらに、王権の仕組みそのものを加盟諸国の首長が主体的・集団的に決めた可能性を提示している。

これは、かなりEU的である。

各国は消滅しない。自治も首長も残る。しかし、単独では処理しにくい外交、物資流通、紛争調整だけを共同化する。その共通機関の代表者として、卑弥呼が「共立」されたと考えるのである。

卑弥呼をEU委員長と同一視することはできない。卑弥呼は祭祀的権威と対外的な王権を備えた、はるかに強い存在だっただろう。それでも、「一国の王が周囲を征服して皇帝になった」というより、複数の政治主体が共同で上位の代表者を立てたという構造は、現代の超国家的な共同体に通じるものがある。

瀬戸内海は国境ではなく、共同インフラだった

現代の都道府県地図で見ると、岡山と香川は別の島にあり、岡山と鳥取は同じ本州にある。

しかし、水運が主要な輸送手段だった時代には、距離感は逆転する。

吉備と讃岐は、瀬戸内海を挟んだ対岸である。 一方、吉備と伯耆の間には中国山地がある。

船で100キロ移動したあと10キロだけ陸送する方が、山道を50キロ運ぶより安いこともある。前近代の地理は、直線距離ではなく、海、川、湖、谷筋、峠をエッジとする交通グラフとして理解した方がよい。

古墳時代の国家形成を、水上交通と陸上交通を組み合わせた列島規模の交通ネットワークの成立として捉える研究もある。田中裕は、弥生時代末から古墳時代にかけての社会を水上交通志向の社会として分析し、交通システムの発達とヤマト王権による広域組織化を結びつけている。

ここから先は、本稿での仮説である。

初期倭国は、瀬戸内海を中心とする一種の海洋パートナーシップだったのではないか。

現代語に直せば、次のような発想である。

吉備周辺の海域では吉備側が秩序を維持する。 播磨や明石では、その地域の勢力が船や港を支える。 大阪湾では河内・摂津側が秩序を保つ。 その代わり、同じ共同体に属する船、貨物、使者は、互いの勢力圏でも安全に扱う。

このような協定が実在したことを直接示す史料はない。「古代の沿岸警備条約」が見つかっているわけではない。

しかし、地方首長が自らの地域支配を維持したまま、共通の通航秩序、交易圏、外交秩序に参加することには、明確な利益がある。

一隻の大型船が筑紫から畿内まで直航する必要もない。小規模な港と地域ごとの船乗りを使い、貨物、人、情報をリレー式に受け渡せばよい。後世の難波津のような大規模な国家港湾がまだ存在しなくても、広域ネットワークは成立し得る。

若狭徹も一般向けの解説で、前方後円墳をEU加盟の「メンバーズカード」にたとえ、地方首長がヤマトとの連合に参加することで、政治的な後ろ盾と広域的な経済交流の利益を得たという説明をしている。

前方後円墳は、単なる墓の形ではなく、

この首長は、同じ広域政治秩序に属する認証済みの統治者である

ことを示す共通規格だったのかもしれない。

なぜ筑紫や吉備ではなく、ヤマトだったのか

北部九州は大陸への玄関として圧倒的に有利だった。

吉備は瀬戸内海の中央部にあり、海上交通のハブとして非常に強い。

それでも、最終的に広域秩序の中心となったのはヤマトだった。

その理由を考えるとき、ヤマト単体ではなく、畿内から近江までを含む交通圏として見る必要がある。

西へは、大阪湾から瀬戸内海へ出られる。

東へは、初瀬、宇陀、伊賀を経て伊勢湾と東海地方へ接続できる。

北へは、山城・近江から琵琶湖を使い、湖北から若狭・敦賀方面へ抜け、日本海側の交通圏へ接続できる。

もちろん、3世紀にそれぞれの経路がどの程度の輸送力を持ち、具体的にどの港や峠が使われていたかは不明な点が多い。特に琵琶湖から敦賀への経路を、後世の物流システムそのままに遡らせることはできない。

それでも、纒向遺跡から出土する外来系土器は、出土土器全体の15~30%を占め、北部九州、瀬戸内海沿岸、北陸、東海、南関東に及ぶ。搬入品だけでなく、他地域から来た人々が纒向で作ったと考えられる土器もあり、多くの人と物が流入し、一部が一定期間滞在していた可能性が指摘されている。

つまりヤマトは、単に「瀬戸内海の東端」だったのではない。

瀬戸内海世界、東海・伊勢湾世界、日本海世界という、異なる交通ネットワークを乗り換えられる地点の近くにあった。

筑紫は大陸へのゲートウェイである。 吉備は瀬戸内海のハブである。 しかし畿内は、複数のネットワークを相互接続する交換局になり得る。

ネットワークが瀬戸内海の内部だけにとどまっている間は、吉備の中心性は高い。しかし東海、北陸、東国まで含む広域ネットワークになるほど、複数圏域を仲介する畿内の価値が上昇する。

これが、本稿でいう 「三海域ハブとしての近畿」仮説 である。

ハブには、貨物だけでなく情報と権力が集まる

交通のハブに集まるのは物資だけではない。

どの地域で何が起きているのか。 どの首長が強く、誰と誰が争っているのか。 どこで鉄が手に入り、どんな新技術が伝わったのか。 大陸の王朝や朝鮮半島の情勢はどうなっているのか。

人と物が移動すれば、情報も一緒に移動する。

複数の勢力が互いに直接交渉しようとすると、関係は急速に複雑になる。10勢力がすべて二国間関係を維持するなら、組み合わせは45通りある。共通の調整センターを置けば、各勢力は原則として中央との接続を維持すればよい。

共同王廷は、古代の政治的なハブになる。

社会ネットワーク分析を古墳時代の国家形成に適用した溝口孝司は、各地域政治体がネットワーク上で占めた位置の違いが、それぞれ異なる中心性と仲介能力を生み、そのこと自体が関係の階層化と中央集権化を引き起こし得ると論じている。資源を先に独占したから中心になったというより、ネットワークの位相構造そのものが権力差を作る、という議論である。

ヤマトが調整の中心になると、次の循環が始まる。

ヤマトに各地の人と情報が集まる。 情報があるため、外交、仲裁、物資分配で有利になる。 ヤマトと関係を持つ価値が高くなる。 さらに多くの勢力がヤマトへ接続する。 その結果、ヤマトの情報量と調整力がさらに高まる。

当初の実力差が小さかったとしても、この正のフィードバックが数世代続けば、差は拡大する。

ヤマトが最初から圧倒的な軍事大国だった必要はない。

共同体の中心に置かれたこと自体が、ヤマトを次第に強大化させた 可能性がある。

それなら、なぜ物流の中心ではなく纒向なのか

ここで新しい疑問が生じる。

純粋な物流だけを考えるなら、大阪湾岸、河内、淀川流域、あるいは近江の方が自然な中心に見える。

奈良盆地東南部の纒向は、広域交通網から完全に孤立してはいないが、巨大港湾や水運の直接的な結節点でもない。

それにもかかわらず、纒向には3世紀に大規模な集落と、方位や軸線をそろえた規格性の高い大型建物群が現れ、列島各地から人と物が集まっている。桜井市の保存活用計画も、ここを3世紀の列島規模の権力中枢を示す遺跡として位置づけている。

これは、纒向を単なる物流都市ではなく、政治的な共同都市と考えれば説明しやすくなる。

現代でも、複数の有力勢力が共同体を作る際、最大勢力の首都をそのまま共同首都にすると揉めやすい。

オーストラリアでは、シドニーとメルボルンの対立を調整する形で、既存の二大都市とは別の場所に連邦首都が置かれた。憲法上、首都をニューサウスウェールズ州内としつつ、シドニーから一定距離を置くという妥協がなされ、キャンベラが建設された。

同じ構造を古代倭国に当てはめるなら、次のようになる。

筑紫に共同王廷を置けば、筑紫が外交と王権を独占したように見える。

吉備に置けば、吉備が瀬戸内海秩序を所有したように見える。

尾張に置けば、東海勢力が有利すぎる。

大阪湾の有力海運勢力の本拠に置くのも、他の参加者には受け入れにくい。

そこで、主要ネットワークへは十分にアクセスできるが、既存の巨大勢力の港湾本拠そのものではない場所に、共同王廷を新設する。

それが纒向だったのではないか。

前田晴人は、大市・纒向を諸国首長の会同が繰り返された場所とし、その反復によって「女王の都する所」に定められた可能性を論じている。さらに復元私案として、「女王を邪馬台国以外から選ぶ」「王都を邪馬台国の大市に置く」「定期的に会同を開く」という盟約まで提示している。前田自身が「多分に推測の域を出ない」と明記しているが、共同体が特定国・特定首長家へ権力を集中させないための制度設計として、非常に興味深い。

この仮説に立つなら、纒向は古代版キャンベラである。

物流センターは大阪湾・河内などに分散していてよい。 政治、外交、祭祀、首長間調整を行う共同王廷だけを、一歩内側の纒向に置く。

纒向が主要航路の真上にないことは欠点ではない。むしろ、特定の海運勢力から距離を取りつつ、各方面から到達可能な共同首都としての条件だったのかもしれない。

共同事務局は、やがて加盟者より強くなる

このモデルでは、初期のヤマトは領土帝国の首都ではない。

外交、物資流通、祭祀、紛争調整を行う共同機関である。

しかし、共同機関は永遠に中立的な会議室であり続けるとは限らない。

EUの統合も、石炭と鉄鋼だけの共同管理から始まり、経済全般へと拡大した。ある問題を共同化すると、それに隣接する問題も共同化した方が合理的になるからである。

古代倭国でも、同じスピルオーバーが起こり得る。

大陸外交を共同化する。 すると、輸入した鉄や威信財の分配も調整する必要が生じる。

分配を共同化する。 すると、誰が正当な首長で、どの程度の地位なのかを認定する必要が生じる。

首長の地位を認定する。 すると、共通の墓制、祭祀、儀礼、称号が必要になる。

紛争を調停する。 すると、決定を執行する軍事力や使者、恒常的な組織が必要になる。

こうして共同王廷には、外交情報、物資、人材、技術、儀礼、正統性が蓄積していく。

最初は、

倭国の共同事業を処理するために、ヤマト王廷が存在する

という関係だったものが、やがて、

ヤマト王廷から承認されることによって、各地の首長の地位が成立する

という関係へ逆転する。

共同体のための機関が、共同体そのものを規定する権力になるのである。

この変化を考えれば、地方首長の連合体として始まった秩序が、数百年をかけてヤマト王権、さらに律令国家へと中央集権化していったことも、古代特有の不可解な現象ではなくなる。

これは史実ではなく、史実を理解するための因果モデルである

ここまでの議論を、そのまま確定した歴史として扱うことはできない。

比較的確かなのは、纒向に3世紀の大規模な政治的拠点が存在したこと、各地から人や物が集まっていたこと、卑弥呼が複数の政治主体によって「共立」されたと記録されていること、そして古墳時代の広域秩序が単純な地方直轄統治では説明しにくいことである。

既存研究としては、首長連合、倭国同盟、交通ネットワークによる列島組織化、ネットワーク中心性による階層化、前方後円墳を通じた政治的統合などが論じられている。

一方、

  • 瀬戸内海の通航秩序を共同提供する海洋パートナーシップだった
  • 瀬戸内海・東海・日本海を接続できたことが近畿の中心性の根本原因だった
  • 纒向が有力勢力間の妥協首都として選ばれた
  • 共同機関への資源集中がヤマトを加盟勢力以上に強大化させた

という一連の因果関係は、本稿の比較仮説である。

EUやキャンベラは、古代倭国の証拠ではない。

だが現代例を見ることで、複数の自律的勢力がなぜ共同体を作るのか、なぜ最大勢力の本拠とは別に共同中枢を設けるのか、なぜ共同機関が次第に強くなるのかという、普遍的な組織形成のメカニズムを理解できる。

古代人も、現代人とまったく別の論理で動いていたわけではない。

戦争を避けたい。 重要物資が欲しい。 遠隔地と安全に交易したい。 自治は守りたい。 ライバルには支配されたくない。 共同事業の利益は受けたい。

そうした普通の動機を持つ政治勢力が、当時利用できた海運、儀礼、王権という技術を使って制度を作った。

日本は、ヤマトが列島を一気に征服した瞬間に始まったのではないのかもしれない。

別々のクニが、共通の交易・外交・安全保障ネットワークを運営するために共同機関を作り、その共同機関が人、物、情報、権威を吸収しながら、やがて国家そのものへ変わっていった。

日本国家の始まりとは、「ヤマトが倭を作った」物語ではなく、「倭がヤマトという中枢を作り、その中枢が倭を支配するようになった」過程だったのではないか。

九州各県の「第二都市圏」はどこ?

都市雇用圏で比べる7県の二番手

福岡県の第二都市を聞かれれば、ほとんどの人が北九州市と答えるだろう。長崎県なら佐世保市、熊本県なら八代市。このあたりも、それほど異論はなさそうだ。

では、大分県はどうだろう。

市の人口順なら別府市だが、別府は大分市から近く、実際の経済・生活圏もかなり連続している。大分市と別府市を第一都市、第二都市として別々に数えると、同じ第一都市圏を二重計上しているようにも見える。

佐賀県では、人口の大きな唐津市と、福岡・久留米方面との結びつきが強い鳥栖市のどちらが二番手なのか。鹿児島県では、人口なら霧島市、広域中心性なら鹿屋市や薩摩川内市も候補に見える。

そこで今回は、市町村の行政区域ではなく、中心都市と、その都市へ通勤する周辺市町村をまとめた「都市雇用圏」を使い、九州各県の第二都市圏を考えてみたい。

先に結論を示すと、大分県の二番手は中津都市圏。佐賀県は鳥栖・唐津の接戦。そして鹿児島県は、一つに決めるよりも、鹿屋・薩摩川内・霧島を「第二都市圏群」として扱うのが実態に近そうだ。


「市の人口」ではなく「都市圏の人口」で比べる

今回使用するのは、東京大学空間情報科学研究センターが公開している都市雇用圏(Urban Employment Area、UEA)である。

都市雇用圏では、人口集中地区を基礎に中心都市を定め、原則として中心都市への通勤率が10%以上となる周辺自治体を郊外として組み込む。行政上は別の市町村でも、雇用・生活面で一体なら一つの都市圏として数える仕組みだ。

2026年4月には、2020年国勢調査に基づく都市雇用圏が公開された。過去の2000~2020年分についても、改良された手順で再設定されている。今回はこの2020年版を現在規模の基準とする。(東京大学CSIS)

県別に並べる際は、次のように扱った。

  • 中心都市がその県内にある都市雇用圏を候補とする
  • 都市圏が県境を越える場合は、県外部分も含む圏域全体の人口を使う
  • 最上位の第二候補との人口差が15%以内なら、無理に一つへ絞らず複数を併記する

最後の「15%以内」は都市雇用圏の公式分類ではなく、僅差の候補に機械的な順位を付けないための、この記事独自の編集ルールである。

また、人口推移は各年に設定された都市雇用圏人口を参照する。都市雇用圏の構成自治体は通勤状況によって変わり得るため、推移には実際の人口増減と圏域変更の双方が含まれる。純粋な同一範囲の人口変化ではなく、「その時点で成立していた都市圏の規模」の推移として読んでほしい。


先に一覧:九州7県の第一~第四都市圏

第1都市圏 第2都市圏 第3都市圏 第4都市圏 第二都市圏の判定
福岡 福岡 266.7万 北九州 131.3万 久留米 42.9万 大牟田 22.2万 北九州
佐賀 佐賀 38.1万 鳥栖 12.62万 唐津 12.30万 伊万里 7.16万 鳥栖・唐津
長崎 長崎 75.7万 佐世保 28.5万 島原 8.57万 佐世保
熊本 熊本 110.8万 八代 14.98万 天草 8.29万 人吉 8.05万 八代
大分 大分 73.7万 中津 19.59万 佐伯 6.69万 日田 6.46万 中津
宮崎 宮崎 49.7万 都城 22.82万 延岡 11.84万 日向 8.18万 都城
鹿児島 鹿児島 71.7万 鹿屋 15.47万 薩摩川内 14.01万 霧島 13.23万 鹿屋・薩摩川内・霧島

人口は2020年都市雇用圏。表の「第二都市圏の判定」は、前述の僅差併記ルールを適用したものだ。第一都市圏に対する最大の第二候補の人口比率は、福岡49.2%、佐賀33.2%、長崎37.6%、熊本13.5%、大分26.6%、宮崎45.9%、鹿児島21.6%となる。比率は筆者計算。(ウィキペディア)


福岡県:北九州都市圏

「第二」と呼ぶには大きすぎる

福岡 266.7万 → 北九州 131.3万 → 久留米 42.9万 → 大牟田 22.2万 次点:飯塚 18.2万

福岡県の第二都市圏は、もちろん北九州都市圏である。

北九州都市圏は福岡都市圏の約49%。第二都市圏でありながら、熊本・長崎・大分・宮崎・鹿児島各県の第一都市圏よりも大きい。さらに三番手の久留米都市圏にも約3倍の差を付けている。

福岡県の場合、福岡圏の次に北九州圏があるというより、二つの大都市圏の下に、久留米・大牟田・飯塚と複数階層の都市圏が続くと捉えたほうがよい。九州の他県とは都市圏の厚みそのものが違う。(ウィキペディア)

北九州都市圏の人口は、2000年の約142.6万人から、2010年137.0万人、2020年131.3万人へ減少している。一方で福岡都市圏は成長しており、県内の第一・第二都市圏の差は拡大している。それでも北九州が「県内二番手」として揺らぐ規模ではない。(ウィキペディア)

福岡県の都市構造を一言で表すなら、二大都市圏を軸に第三・第四階層まで厚い多極型である。


佐賀県:鳥栖都市圏か、唐津都市圏か

わずか3,261人差の異質な二候補

佐賀 38.1万 → 鳥栖 12.62万 ≒ 唐津 12.30万 → 伊万里 7.16万

2020年の都市圏人口は、鳥栖都市圏が12万6,243人、唐津都市圏が12万2,982人。差はわずか3,261人、率にして約2.6%しかない。

したがって、佐賀県では鳥栖だけを第二都市圏と断定せず、鳥栖・唐津の二圏を併記するのが妥当だろう。(ウィキペディア)

ただし、両都市圏は同じ規模でも性格がかなり違う。

鳥栖市の人口は約7.4万人だが、都市圏になると12.6万人まで膨らむ。人口集中地区人口も約5.0万人あり、従業地ベースの就業者数を常住就業者数で割った「従常比」は1.25。周囲から通勤者を吸い込む雇用都市であることが数字に表れている。

鳥栖市の資料でも、福岡市に対しては流出超過である一方、それ以外の主要自治体に対してはおおむね流入超過となっている。久留米市との間でも、鳥栖から久留米へ通勤する人が2,883人なのに対し、久留米から鳥栖へは5,498人。鳥栖を単なる「久留米の佐賀県側郊外」と捉えるだけでは実態を捉えきれない。(鳥栖市公式サイト)

一方の唐津市は、市単独で約11.7万人あり、都市圏人口12.3万人の大部分を中心市自身が占める。人口集中地区人口は約4.2万人、従常比は0.95。周辺を広く吸収する鳥栖よりも、中心市そのものが大きい、自己完結的な地方中心都市という性格が強い。(ウィキペディア)

推移を見ると、鳥栖都市圏は2010年の約11.31万人から2020年の12.62万人へ拡大した一方、唐津都市圏は2010年の約13.33万人から12.30万人へ縮小した。圏域変更の影響には注意が必要だが、少なくとも現在の都市圏人口では鳥栖が唐津をわずかに上回っている。(ウィキペディア)

結論としては、

経済圏・雇用圏としては鳥栖、独立した地方都市としての存在感は唐津

という二つの答えが共存する。佐賀県は、性格の異なる第二都市圏候補を二つ持つ県である。


長崎県:佐世保都市圏

二番手は揺らがない

長崎 75.7万 → 佐世保 28.5万 → 島原 8.57万 → 2020年UEA一覧では第四圏なし

長崎県の第二都市圏は佐世保都市圏で間違いない。

長崎都市圏75.7万人に対して、佐世保都市圏は28.5万人。第一都市圏の約38%に達する一方、三番手の島原都市圏は8.6万人にとどまる。

市人口では存在感のある諫早市や大村市も、2020年の都市雇用圏一覧では独立した上位圏として現れない。県内の都市体系は、数字上も長崎圏と佐世保圏の二極、その下に大きな段差という形になる。(ウィキペディア)

佐世保都市圏の人口は、2000年の約32.29万人から、2010年30.46万人、2020年28.48万人へ減少した。中心市街地の衰退感を覚える場面はあっても、三番手との差は依然として約20万人ある。人口減少と、第二都市としての地位が弱いことは同じではない。(ウィキペディア)

長崎県は、縮小しながらも明瞭な二極構造を維持している県といえる。


熊本県:八代都市圏

明確な二位だが、第一との差は九州最大

熊本 110.8万 → 八代 14.98万 → 天草 8.29万 ≒ 人吉 8.05万 次点:玉名 6.43万

熊本県の第二都市圏は八代都市圏である。

ただし、熊本都市圏110.8万人に対して八代都市圏は15.0万人。第二都市圏の人口は第一都市圏のわずか13.5%で、九州7県の中でも突出して低い。

さらに、八代の下には天草8.29万人、人吉8.05万人が続く。熊本県の都市圏序列は、

熊本圏 ――巨大な崖―― 八代圏 ――もう一段の差―― 天草圏・人吉圏

という形になっている。(ウィキペディア)

八代都市圏は、2000年の約15.69万人から2010年14.50万人へ減り、2020年は14.98万人となった。2010年からの見かけ上の回復には圏域変更の影響も考えられるため、人口が実質的に反転したとまでは言い切れない。(ウィキペディア)

なお、熊本県北部の荒尾市は、県境を越えて福岡県の大牟田都市圏との結びつきが強い。荒尾市自身も大牟田市などとの県境を越えた社会・経済的関係を前提に広域連携を進めており、熊本県内の独立都市圏としては表に出てこない。これも、市町村人口と都市圏人口の順位が一致しない例である。(ウィキペディア)

熊本県は、熊本都市圏への超一極集中と、その下に小規模な地域中心都市が並ぶ構造である。


大分県:中津都市圏

都市圏で見ると、別府ではなくなる

大分 73.7万 → 中津 19.59万 → 佐伯 6.69万 ≒ 日田 6.46万

市の人口順なら、大分市に次ぐのは別府市である。

しかし都市圏で考える場合、大分市と別府市を第一・第二として別々に数えるのは不自然だ。大分県の都市交通計画でも、大分市を核として別府市、臼杵市、豊後大野市、由布市、日出町などを一つの大分都市圏として扱っている。

そこで大分・別府側を第一都市圏としてまとめると、その外側にある最大の独立都市圏は中津都市圏19.6万人となる。(大分県ホームページ)

中津都市圏は、大分県北部だけで完結しない。中津市を中心として宇佐市方面に広がる一方、福岡県の豊前市、吉富町、上毛町などとも県境を越えた通勤・生活圏を形成している。

つまり中津は「大分県北部の都市」というだけでなく、周防灘沿岸に成立した県境都市圏の中心である。(ウィキペディア)

人口は2000年の約21.66万人から、2010年20.89万人、2020年19.59万人へ減少した。それでも三番手の佐伯、四番手の日田はいずれも6万人台であり、中津の二番手としての地位は明確だ。(ウィキペディア)

大分県は、大分・別府の大きな第一都市圏と、県境を越える中津都市圏を持つ二段構造と整理できる。


宮崎県:都城都市圏

延岡と思いきや、かなり明確に都城

宮崎 49.7万 → 都城 22.82万 → 延岡 11.84万 → 日向 8.18万 次点:日南 5.08万

宮崎県の第二都市として、延岡を思い浮かべる人もいるかもしれない。延岡は県北の代表的な工業都市であり、地理的な存在感も大きい。

しかし都市圏人口では、都城が22.8万人、延岡が11.8万人。都城都市圏は延岡都市圏のほぼ2倍あり、宮崎都市圏49.7万人に対しても約46%に達する。

数字で見る限り、宮崎県の第二都市圏は都城で明確である。(ウィキペディア)

都城の生活・経済圏は宮崎県内だけで閉じず、鹿児島県の曽於市などとも日常的な結びつきを持つ。都城・三股・曽於・志布志などは、県境を越えた広域的な圏域としても捉えられている。都城は宮崎市の衛星都市ではなく、南九州に独立して成立した地域中心都市である。(ウィキペディア)

都市圏人口は2000年約22.72万人、2010年24.36万人、2020年22.82万人。圏域変更の影響はあるものの、2020年の規模は2000年とほぼ同じで、九州各県の第二都市圏の中では比較的厚みを維持している。(ウィキペディア)

宮崎県の都市圏は、

宮崎 約50万 → 都城 約23万 → 延岡 約12万 → 日向 約8万

と、九州でも特にきれいな階段を形成している。宮崎・都城の二極を上段に、延岡・日向が続く階層型である。


鹿児島県:鹿屋・薩摩川内・霧島都市圏

第二から第四までが同じ階級

鹿児島 71.7万 → 鹿屋 15.47万 ≒ 薩摩川内 14.01万 ≒ 霧島 13.23万 → 奄美 4.86万

鹿児島県は、単独の第二都市圏を決めると情報を失う県である。

形式上の順位は鹿屋、薩摩川内、霧島だが、最大の鹿屋と最小の霧島の差は約2万2,500人しかない。鹿屋に対する霧島の人口は約85.5%であり、今回の基準では三都市圏すべてが第二都市圏候補になる。(ウィキペディア)

しかも、三都市圏は人口規模が近い一方、内部構造が異なる。

都市圏 圏域人口 中心市人口 DID人口
鹿屋 15.47万 10.11万 2.57万
薩摩川内 14.01万 9.24万 2.12万
霧島 13.23万 12.31万 4.95万

鹿屋は都市圏全体の人口が最大で、大隅半島の広い後背地を抱える地域中心都市である。

霧島は都市圏全体では三番目だが、中心市人口と人口集中地区人口では三圏中最大。国分・隼人にまとまった市街地が形成されているため、実際に訪れた際の「街の大きさ」は、都市圏人口順位以上に大きく感じられやすい。

薩摩川内は両者の中間に位置し、北薩に独立した都市圏を形成している。つまり、

広い後背地を含む地域中心性なら鹿屋 市街地の集積なら霧島 北薩の独立拠点としては薩摩川内

と、評価軸によって答えが変わる。(ウィキペディア)

人口推移も興味深い。2010年から2020年にかけて、鹿屋都市圏は約15.22万人から15.47万人、薩摩川内都市圏は15.48万人から14.01万人、霧島都市圏は13.91万人から13.23万人となった。

圏域変更を含むため単純比較はできないものの、表上では鹿屋が規模を維持し、薩摩川内と霧島が縮小している。少なくとも2020年時点では、都市圏人口で鹿屋が一歩前に出ている。(ウィキペディア)

したがって、鹿児島県については、

単独二位:鹿屋 ではなく、 第二都市圏群:鹿屋・薩摩川内・霧島

と表現するのが実態に近い。

県全体では鹿児島都市圏が圧倒的だが、その下に大隅・北薩・国分隼人という三つの独立した10万人級都市圏が残る。鹿児島県は、一強+三地方中核型である。


九州各県の第二都市圏をまとめると

単独の第二都市圏が明確なのは、次の5県である。

第二都市圏 特徴
福岡 北九州 第一の半分に達する巨大第二都市圏
長崎 佐世保 三番手以下を大きく離す明瞭な第二極
熊本 八代 二位は明確だが第一との差が極端
大分 中津 大分・別府圏の外にある県境都市圏
宮崎 都城 第一の半分近くに達する強い第二極

一つに絞らないほうがよいのは2県。

第二都市圏候補 特徴
佐賀 鳥栖・唐津 雇用都市と伝統的地方中心都市の接戦
鹿児島 鹿屋・薩摩川内・霧島 二位から四位まで同階級の三中核

都市構造の型として整理すると、次のようになる。

  • 福岡県:二大都市圏+厚い第三階層を持つ多極型
  • 佐賀県:性格の異なる二つの第二候補を持つ型
  • 長崎県:明瞭な二極型
  • 熊本県:超一極集中型
  • 大分県:大分・別府圏+県境第二圏型
  • 宮崎県:二極を上段とする階層型
  • 鹿児島県:一強+三地方中核型

第二都市圏の人口は、その県の経済規模そのものを直接示す数字ではない。

しかし、第一都市圏への集中度、独立した雇用市場の数、地方部に残る都市機能の厚みを考えるうえでは、かなり直感的な指標になる。

熊本県と鹿児島県は、どちらも第一都市圏と二番手以下の差が大きい。ただし熊本は110万人の熊本圏から15万人の八代圏へ一気に落ちるのに対し、鹿児島は70万人の鹿児島圏の下に13~15万人の三都市圏が並ぶ。同じ「一極集中」に見えても、その下部構造は大きく異なる。

福岡県と宮崎県は、第一都市圏に対する第二都市圏の比率がともに高い。ただし福岡は絶対規模も都市圏の層も別格で、宮崎は約50万・23万・12万・8万という整然とした地方都市体系を持つ。

そして大分県では、自治体人口ではなく都市圏で考えることで、別府ではなく中津という二番手が見えてきた。

結局、第二都市圏を探すとは、第一都市圏を取り除いたあと、その県にどれだけ「街」が残るかを見ることなのだろう。

市の人口順位だけでは見えない、県境を越えた生活圏と、それぞれの県の都市の成り立ちが、二番手以下の都市圏から浮かび上がってくる。

2026年2月衆院選後の予測、その答え合わせ――選別ねじれと野党再編

2026年8月4日時点。この記事は、2028年の次期参院選までを見通した予測に対する、最初の中間採点である。

2026年2月10日、衆院選直後に私は、「2026年2月衆院選で与党圧勝、参院では国民民主党と協力し、立憲民主党はますます先鋭化へ」という記事を書いた。

そこで使った言葉が、「選別ねじれ」だった。

衆議院では与党が圧倒的多数を持つ一方、参議院では自民・維新だけで過半数にわずかに届かない。この組み合わせは、野党が結束して法案を止める従来型のねじれではなく、与党が案件ごとに協力相手を選べるねじれになるのではないか――という予測である。

元記事は2028年の参院選までを対象にした3年予測なので、まだ最終的な答え合わせではない。ただ、選挙後最初の第221回特別国会が7月25日に閉会し、国会運営と野党再編の双方でかなり材料がそろった。

先に結論を書くと、次のようになる。

  • 「選別ねじれ」という構造予測は、かなり当たった
  • 衆院再可決を常用せず、参院内で多数派を作るという予測もおおむね当たった
  • 国民民主党を基本パートナーにするという予測は、半分外れた
  • 正確には、特定の基本パートナーそのものが存在しなかった
  • 立憲民主党の単純な純化・左傾化は、現時点では保留
  • むしろ公明党を媒介とする中道野党の再結集が動き始めている

以下、順番に答え合わせをしていく。


1. まず、第221回特別国会では何が通ったのか

予測の採点に入る前に、そもそも先の国会がどのような国会だったのかを簡単に振り返っておきたい。

第221回特別国会は、2026年2月18日から7月25日まで開かれた。政府が提出した法案64本はすべて成立した。

成立した案件の範囲は広い。

経済・生活

  • 2026年度予算
  • 所得税法・地方税法などの税制改正
  • 高校授業料支援
  • 健康保険制度の改正
  • 産業競争力や地域公共交通に関する制度改正

国家機構・安全保障

  • 国家情報会議の設置
  • 防災庁の設置
  • 防衛省の体制整備
  • 経済安全保障関係の制度改正
  • 入管法改正

長く揉めてきた制度課題

  • 皇室典範等の改正
  • 再審制度に関する刑事訴訟法改正
  • 副首都法

もちろん、すべての政治課題を片付けたわけではない。政治資金規正法改正、企業・団体献金を含む政治資金制度、衆院定数削減などは閉会中審査として残った。

それでも、防災、インテリジェンス、安全保障、教育、外国人政策、皇室制度、副首都と、通常なら一つずつでも主要争点になり得る案件を一つの国会でまとめて処理した。

個々の法案の内容や審議の進め方への評価は別として、参院で与党が過半数を持たないから国会が止まった、とは到底いえない国会だった

では、参院で足りない票をどのように調達したのか。

ここからが「選別ねじれ」の答え合わせになる。


2. 2月時点では何を予測していたのか

元記事の主張を圧縮すると、次の5点だった。

  1. 衆院の再可決はできるが、乱発すれば政治的正統性を消耗する
  2. そのため、普段は参院内で案件ごとの多数派を作る
  3. 基本パートナーは国民民主党になる
  4. 小会派・無所属・参政党を案件別に混ぜる
  5. 政策決定から遠ざかる立憲民主党は、参院主導で純化・左傾化しやすい

中核にあったのは、次の見立てである。

この議席構造は、野党に「止める力」を与えるのではなく、与党に「協力相手を選べる力」を与える。

この構造認識は、実際の採決を見る限り、かなり正しかった。

一方、どの政党が選ばれ続けるかについては修正が必要になった。


3. 「選別ねじれ」は実際に起きた――判定は「的中」

代表的な採決を並べると、政権が法案ごとに別の多数派を作っていたことがよく分かる。

案件 参院での結果 国民民主 公明 参政 多数派の特徴
2026年度本予算 126対119 反対 反対 反対 自民系・維新に、日本保守、みらいの一部、無所属を加えて成立
国家情報会議設置法 187対58 賛成 賛成 賛成 国民、公明、参政まで含む広い多数派
2026年度補正予算 148対94 賛成 反対 反対 国民民主を加えて成立
副首都法 123対121 反対 反対 反対 チームみらい2人と無所属3人を加え、一票差で成立

本予算では、国民民主、公明、参政がそろって反対した。それでも、自民系101、維新19に、日本保守党2、チームみらい・無所属の会の1人、無所属3人を足して126票を作った。

国家情報会議設置法では逆に、国民民主25、公明21、参政15が全員賛成し、187対58の大差となった。

補正予算では、国民民主が賛成に回った一方、公明と参政は反対した。

そして副首都法では、国民民主、公明、立憲、参政、日本保守、共産、れいわなどが反対する中、自民系99と維新19に、チームみらい2、無所属3を足して123票を確保した。反対は121票だった。

これは、まさに2月に書いた、

「大連立」が必要なねじれではなく、「案件ごとに調達できるねじれ」

そのものだった。

ただし、実際の運用は予想以上に徹底していた。

与党は一つの野党との準固定的な協力関係を作ったのではない。法案ごとに、政策距離、必要票数、修正コスト、政治的な見え方を比較し、その都度もっとも使いやすい多数派を組み立てた。

野党がキャスティングボートを握ったというより、政権側が複数の「キャスティングボート候補」を持っていたのである。


4. 衆院再可決は「見せて、使わずに通す」――これもおおむね的中

元記事では、衆院再可決について次のように書いた。

再可決は最終手段。通常は参院で可決して成立させる。
勝ち筋は「押し切る」ではなく、「押し切れるけど押し切らない」を運用することにある。

少なくとも主要法案については、この通りになった。

本予算、国家情報会議設置法、皇室典範改正、副首都法などは、参院内で必要な票を確保して可決した。再可決を常用して、参院を事実上無視する運営にはならなかった。

これは、衆院の巨大多数が無意味だったという話ではない。むしろ逆である。

最終的には衆院で押し切れるという背景があるからこそ、野党側は、

  • 完全阻止を目指す
  • 修正や附帯決議を取りに行く
  • 賛成して政策成果に参加する
  • 反対して独自性を示す

のどれを選ぶか迫られる。

衆院再可決は、実際に撃つ武器というより、交渉の前提となる背景戦力として効いたと見るのが自然だろう。

ただし、これをもって「丁寧な合意形成型の国会だった」とまではいえない。副首都法は一票差であり、立憲民主党が提出した修正案7本はすべて否決された。

それでも、制度上の最終手段を連発せず、参院内で法案ごとの多数派を作るという運用予測は当たった


5. 外れたのは「国民民主党が軸になる」という部分

元記事で最も明確に外したのはここだ。

私は国民民主党を、

与党にとって一番「常用しやすい橋」

と表現し、2028年までの本命シナリオを「国民民主軸の安定運用」とした。

実際、国民民主党は常用しやすい橋の一つではあった。

  • 国家情報会議設置法には賛成
  • 補正予算には賛成
  • 入管法改正には賛成
  • 皇室典範改正には賛成

安全保障、国家機構、機動的な経済対策などでは、政策距離も比較的近かった。

しかし、その橋は常設ではなかった。

  • 本予算には反対
  • 副首都法には反対

それでも法案は成立した。

したがって、正しい説明は、

国民民主党を軸に、ほかの政党を補助的に使った

ではない。

そもそも固定的な軸を作らず、国民民主、公明、参政、小会派、無所属を案件ごとに使い分けた

である。

元記事のシナリオでいえば、本命とした「国民民主軸の安定運用」より、第二候補だった「公明の動きが読めず、案件ごとに調達」の方が近かった。

しかも実際には、「国民民主+小会派」を基本形にしたわけでもない。国家情報会議では国民・公明・参政をまとめて使い、本予算ではその3党を全部外し、副首都法ではチームみらいと無所属だけを足した。

つまり政権が持っていたのは、一本の橋ではなく、複数の橋から案件ごとに選べるポートフォリオだった。


6. ただし「国民民主の力は拒否権ではなく成果獲得力」は当たった

一方、国民民主党の交渉力について、

法案を止める力ではなく、修正や成果を引き出す力に寄る

と書いた部分は、おおむね維持できる。

国民民主党が反対した本予算も副首都法も、別の票を集めて成立した。したがって、国民民主党には、

自分たちが反対すれば法案そのものを廃案にできる

という意味での拒否権はなかった。

国民民主党が持っていたのは、

自分たちと組めば、より安定した票差で、穏当な形で成立させられる
その代わり、政策修正や目に見える成果を要求できる

という力である。

ただし、その価格には上限がある。

条件を高くしすぎれば、政権は公明、参政、小会派、無所属へ向かう。国民民主党は重要な協力相手ではあっても、不可欠な協力相手ではなかった。

この意味で、2月時点の予測は、

  • 「国民民主が基本パートナー」:外れ
  • 「国民民主の交渉力は拒否権ではない」:当たり

と分けて採点すべきだろう。


7. 小会派・無所属・参政党のスポット協力――予想以上に当たった

元記事では、国民民主を基本にしつつ、

  • 小会派・無所属を数合わせに使う
  • 参政党を経済安保、入管、価値観争点でスポット的に使う

と予測した。

固定軸を国民民主とした点は外れたが、スポット協力という見立て自体はかなり当たった

参政党は国家情報会議設置法では15人全員が賛成した。しかし、本予算、補正予算、副首都法では反対した。

つまり、参政党は恒常的な与党補完ではなく、国家機構や安全保障など、政策的に一致する領域でのみ加わる案件別パートナーだった。

さらに象徴的だったのが、副首都法である。

主要野党が軒並み反対する中、最後に必要だった5票を、チームみらい2人と無所属3人から確保した。小会派や無所属の価値は常に高いわけではない。しかし、与党の不足票が数票しかない局面では、その価値が一時的に跳ね上がる。

副首都法は、「選別ねじれ」を説明するために作られたような採決だった。


8. 予想外の大きな勝者は日本維新の会だった

国会運営の答え合わせとは少しずれるが、第221回特別国会の政治的な勝者として、日本維新の会は外せない。

大阪府・大阪市は2015年に副首都推進本部会議を設置し、2017年に副首都ビジョンを策定した。そこから約10年を経て、国の法律として副首都の整備を進める枠組みが成立した。

大阪が法律成立と同時に自動的に副首都へ指定されたわけではない。それでも、自治体と一政党の構想だったものを、国の制度として具体化する入口を作った意味は大きい。

維新から見れば、これは一国会分の成果というより、10年分ほどの政策成果を一度に獲得したに近い。

また、高市政権側から見ても合理的な取引だった。

維新に、閣僚ポスト以上に説明しやすい政策成果を渡す。その代わり、本予算から主要法案まで、参院19票の安定した基礎票を得る。

その上で、不足分だけを国民民主、公明、参政、小会派、無所属から調達する。

「選別ねじれ」が機能した前提には、まず自民と維新の120票前後が固まり、あと数票だけを探せばよいという構造があった。


9. 立憲民主党は先鋭化したのか――現時点では「保留、要修正」

元記事の後半では、衆院側の中道勢力が弱まり、参院立憲が政策決定から排除されることで、立憲民主党は純化・左傾化しやすいと予測した。

この予測を支える材料は、一部すでに出ている。

立憲民主党は、

  • 本予算
  • 補正予算
  • 国家情報会議設置法
  • 入管法改正
  • 皇室典範改正
  • 副首都法

など、政権の目玉案件で反対に回った。

また、立憲民主党が参院に提出した法案6本はすべて成立せず、提出した修正案7本もすべて否決された。元記事で想定した「政策参加できない最大野党」という圧力は、確かに発生している。

ただし、ここから直ちに「何でも反対する先鋭化政党になった」と結論するのは無理がある。

立憲民主党自身の集計によれば、政府提出法案64本のうち55本に賛成し、条約12本にはすべて賛成した。衆院議員立法も含めた全体の賛成率は83.7%だった。

つまり実態は、

目玉となる政治争点では政権と強く対決する
一方、通常の実務法案には広く賛成する

というものだった。

対決色は強まったが、国会実務まで全面拒否へ移ったわけではない。

したがって、「政策決定から排除される圧力」は当たったが、「その結果として単純に純化・左傾化する」という因果は、現時点では確認できない。

この項目は外れと断定するより、保留しつつモデルを修正するのが妥当だろう。


10. 実際に進んだのは、公明党を媒介とする中道野党の再結集だった

2月時点で十分に織り込めていなかったのは、公明党の役割である。

元記事では、公明党について、

与党補完として戻るのか、第三極として独自性を取るのか読みづらい

と書いた。

投票行動を見る限り、公明党は固定的な与党補完には戻らなかった。

  • 国家情報会議設置法には賛成
  • 本予算には反対
  • 補正予算には反対
  • 副首都法には反対

国民民主党とも一致したり分かれたりしており、案件ごとに独自判断をしている。

さらに、国会閉会後には、中道改革連合、立憲民主党、公明党の3党が組織課題を協議し、「臨時国会には新しい体制で臨む」として、8月末までの結論を目指す動きに入った。新党を一から作る方式だけでなく、いずれかの党を残す「存続合併」まで検討されている。

したがって、野党側で現時点までに起きたのは、

参院立憲が単独で左へ純化する

という一直線の動きではなく、

公明党を接着剤として、衆院の中道改革連合と参院立憲をもう一度まとめ直そうとする動き

だった。

もっとも、これはまだ完成していない。

元記事で書いたように、政策、意思決定文化、地方組織、支持基盤が異なる以上、合流過程や合流後に摩擦が生じる可能性は高い。2028年までの最終的な答え合わせでは、この再編が本当に一つの政治勢力として定着するかを見る必要がある。

現段階でいえるのは、「立憲の純化」より先に、「中道野党の再集結」が始まったということだ。


11. 答え合わせを表にするとこうなる

2026年2月時点の予測 判定 2026年8月時点の評価
与党が協力相手を選べる「選別ねじれ」になる 法案ごとに多数派が入れ替わった
再可決を温存し、普段は参院内で成立させる 主要法案は参院内で票を作って成立
国民民主党が基本パートナーになる 有力な一候補だが、固定軸ではなかった
国民民主の力は拒否権より成果獲得力 反対しても別ルートで成立した
参政党は案件別パートナーになる 国家情報会議では賛成、予算・副首都では反対
小会派・無所属の価値が上がる 副首都法で5票が決定的になった
公明党は独自ブロック化し得る 固定協力を避け、中道再編の結節点になった
立憲民主党が純化・左傾化する △・保留 目玉案件では対決したが、政府法案の大半には賛成
与党は強いが孤立する 目玉争点では対立したが、通常法案では広い賛成を得た

構造予測はかなり当たった。

一方、政党配置の予測は、国民民主党を買いかぶり、公明党と小会派の可変性を過小評価していた。


12. 予測モデルを更新するなら「国民民主軸」ではなく「協力相手のポートフォリオ」

2月の記事を書き直すなら、国会運営のモデルは次のようになる。

旧モデル

  1. 自民・維新だけでは参院過半数に数票足りない
  2. 国民民主党を基本パートナーにする
  3. 参政党、小会派、無所属を例外的に使う
  4. 再可決は最終手段として温存する

更新後のモデル

  1. 自民・維新で、成立に必要な票の大部分を固定する
  2. 国民民主、公明、参政、小会派、無所属から、案件ごとに協力相手を選ぶ
  3. 一つの野党に固定的な拒否権を持たせない
  4. 協力の対価は、修正、附帯決議、政策成果として個別に支払う
  5. 衆院再可決は、参院交渉を支える最後の保険として残す

この違いは大きい。

国民民主党との部分連立に近い運営なら、国民民主党が政権の政策形成に継続的に関与し、準与党的な責任を負う。

しかし、実際に起きた案件別多数派では、どの野党も、

  • ある法案では与党と組む
  • 別の法案では反対する
  • 反対しても、別の党に通される

という立場になる。

これは政権を安定させる一方、野党再編を難しくする。

各党には「野党として一つにまとまる」動機と同時に、「政策が一致する案件では政権と組んで成果を取る」動機が残るからだ。

逆にいえば、中道・立憲・公明の再編は、この選別される構造から抜け出し、まとまった交渉単位を作ろうとする反応とも読める。

選別ねじれは、与党の国会運営方式であるだけでなく、野党を分断し、同時に再編を促す制度環境でもある。


13. 次の答え合わせは、国会運営より経済・財政になる

第221回特別国会で、高市政権は制度として法律を通せば一区切りつく課題をかなり処理した。

安全保障、インテリジェンス、防災、皇室制度、副首都などは、今後も予算・人事・行政運用を積み上げる必要があるが、少なくとも制度の骨格は前へ進んだ。

次の焦点は、より継続的で、党内対立も大きい課題になる。

  • 経済政策と財政運営
  • 減税、税制、社会保険料
  • 政治資金・定数削減などの政治改革
  • 旧姓使用の法制化
  • 外国人政策の具体化

このうち最大の本丸は、やはり経済・財政だろう。

ここでは、参院であと数票を集めれば終わるわけではない。自民党税調、政調、財務省、社会保障制度、予算編成、市場との関係を同時に組み替える必要がある。

最初の国会で証明されたのは、高市政権が参院の票を組み立て、法案を成立させる能力だった。

次に問われるのは、その国会運営能力を、

生活実感の改善
負担増に依存しない財政規律
成長投資と税収増
社会保障の持続可能性

へ変換できるかである。

ここから先は、野党との攻防以上に、自民党内部の経済・財政観をめぐる攻防が政権の成否を左右する可能性が高い。


おわりに――当たったのは政党名ではなく、国会の構造だった

2026年2月の記事の核心だった「選別ねじれ」は、想像以上に露骨な形で現実になった。

しかし、それを動かしたのは、国民民主党との固定的な協力ではなかった。

国民民主党が一番常用しやすい橋になる

という予測に対する答えは、

政権は一つの橋を常用せず、複数の橋から案件ごとに選んだ

だった。

国民民主党は重要だが不可欠ではない。公明党も参政党も、固定的な与党補完ではない。小会派と無所属は、数票が必要な場面で突然大きな価値を持つ。

立憲民主党についても、政策決定から遠ざかる圧力は生じたが、単純な純化へ一直線に進んだわけではない。むしろ公明党を媒介に、中道野党の再結集が始まった。

したがって、現時点での答え合わせはこうなる。

「選別ねじれ」は当たった。
ただし、国民民主軸ではなかった。
そして野党は単純に先鋭化するのではなく、選別される構造への対抗として再編を始めた。

次の答え合わせで見るべきなのは、高市政権がこの国会運営能力を経済・財政政策の成果へ変えられるか。そして、中道・立憲・公明の再編が、実体のある対抗軸へ育つかである。


参考資料

会社は相続できる。企業の実体は相続できない ――すべての企業は、永遠に「公」の審判から逃れられない

先日、あるSNSの投稿を見かけた。

社会への適応に不安がある性質を持つ息子に、父親が支配する会社を将来継がせるつもりだ、という趣旨のものだった。

もちろん、短い投稿だけでは何も分からない。どのような事業なのかも、息子にどのような能力があるのかも、実際に経営を任せるのか、単に株式を承継させるのかも分からない。

会社員として組織に適応するのが苦手でも、経営者として優れた能力を発揮する人はいる。したがって、その承継が失敗すると言いたいわけではない。

それでも、その「理由」には少し引っかかるものがあった。

もし、社会の中で他人から評価されながら働くことが難しそうだから、すでにある会社の支配権を与え、評価する側へ回そう、という発想なのだとしたらどうだろう。

それは会社を事業のための組織ではなく、一族の身分保障装置として見ていることにならないだろうか。

しかし、父親は息子に会社を渡すことはできても、その会社を社会が選び続けることまでは渡せない。

株式は相続できる。

社長の椅子も相続できる。

だが、企業の実体は相続できない。

会社と企業は、同じものではない

ここでは便宜上、「会社」と「企業」を少し分けて考えたい。

会社とは、法人格や株式、契約、資産によって構成される法的な器である。

株式、不動産、工場、店舗、預金、商標、特許、代表権。これらは法的な手続きを通じて、子どもへ承継できる。

一方で、企業の実体を作っているのは、それだけではない。

顧客が商品を買い続けること。

従業員が能力を差し出し、自発的に協力すること。

取引先が信用し、新しい仕事を持ち込むこと。

金融機関が将来性を認め、資金を提供すること。

優秀な人材が、その会社で働くことを選ぶこと。

こうした関係の束があって、初めて会社は企業として機能する。

そして、これらの関係は所有できない。

契約によって一時的に拘束することはできても、永続的に相続させることはできない。

父親が息子に全株式を渡したとしても、顧客の選択、従業員の忠誠、取引先の信用まで、相続財産の一覧に載せることはできない。

権利は相続できるが、関係は相続できない。

支配権を継いでも、支配する対象の方が逃げていく

不適任な後継者が社長になったからといって、会社が翌日に消滅するわけではない。

むしろ当初は、問題なく経営できているように見えることが多いだろう。

先代が集めた人材がいる。長年の取引先がいる。ブランドがある。内部留保がある。会社名義の土地や建物がある。

後継者は、自分で獲得していない信用を、就任初日から利用できる。

だからこそ、本人も周囲も、先代から引き継いだ蓄積を後継者本人の経営能力と取り違えやすい。

しかし、経営能力が伴わなければ、企業の実体は少しずつ薄くなっていく。

優秀な社員から先に辞めていく。

残った社員は、自分で判断するより、経営者の機嫌を読むようになる。

取引先は重要な案件を別の会社へ回し始める。

顧客は、少しずつ競合の商品へ移る。

設備投資や技術投資が遅れ、過去の資産を売却して利益を補うようになる。

法人格は残っている。株式も後継者が持っている。社長という肩書も変わらない。

それでも、かつてその会社を企業たらしめていたものは、外へ流出している。

後継者は会社を経営しているのではなく、先代が作った企業を取り崩しているだけかもしれない。

支配権は承継された。しかし、支配する対象の方が少しずつ逃げていく。

これが、法的な所有と経済的な支配の違いである。

企業の実体は、毎日再入札されている

企業の株式が売りに出されていなくても、企業の実体は常に競争にさらされている。

顧客市場では、売上が競合企業との間で再入札される。

労働市場では、人材がよりよい待遇や仕事を提示する会社へ移る。

資本市場では、将来性のある企業へ資金が流れる。

取引市場では、信用や商流がより信頼できる相手へ移る。

技術やノウハウも、それをよりよく活用できる組織へ集まっていく。

オーナーが株式を一株も売らなくても、企業の中身は日々、暗黙の競売にかけられている。

競合がよりよい商品を作れば、顧客が移る。

よりよい待遇を示せば、人材が移る。

より説得力のある成長戦略を示せば、資本が移る。

このとき、世襲企業から資源を奪う競合が公開企業である必要はない。

別のオーナー企業でもよい。新しい創業者でもよい。小さな企業が技術によって市場を塗り替えることもある。

重要なのは、企業の行き先が「公有」であることではない。

誰でも挑戦できる開かれた秩序の中で、経済的資源の配分が決め直されることである。

「公に還る」とは何を意味するのか

以前から、私は「すべての企業は公に還る」という表現を考えていた。

ここでいう「公」は、国有化を意味しない。

上場することでも、株式が多数の投資家へ分散することでもない。

資源が一度、公共の倉庫へ戻されるわけでもない。

より正確に言えば、「公」とは所有者の種類ではなく、支配の手続きを指している。

公とは、誰のものかではなく、誰でも挑戦できる状態である。

企業がある一族の所有物であっても、その企業が使っている人材、信用、顧客、資本は、競争に開かれている限り、永久にその一族へ固定されるわけではない。

したがって、企業は「公」という場所へ戻るのではない。

企業に対する私的支配が、永遠に公の審判へ服し続けるのである。

父親から息子へ株式を移すことは、家族の内部だけで決められる。

しかし、その息子の会社から商品を買うかどうかは、顧客が決める。

そこで働き続けるかどうかは、従業員が決める。

資金を預けるかどうかは、金融機関や投資家が決める。

取引を続けるかどうかは、取引先が決める。

家族内部の人事を、社会は直接取り消せない。

その代わり、社会は企業の実体を構成するものを、少しずつ引き揚げることができる。

それが広い意味での「公への回帰」である。

オーナー企業は否定されない

この考えは、オーナー経営を否定するものではない。

優れたオーナー企業は、公開企業よりも強いことがある。

短期的な株価に振り回されず、長期投資ができる。大胆な決断ができる。企業文化を守れる。専門経営者なら避けるようなリスクを、所有者自身の責任で取ることもできる。

公開会社にしたり、雇われ経営者に委ねたりするよりも、特定のオーナーが支配した方が大きな価値を生むなら、その支配には十分な合理性がある。

問題は、支配の根拠をどこに置くかである。

その家に生まれたから支配してよいのではない。

株式を相続したから、顧客や従業員まで無条件に従うべきなのでもない。

オーナーが優越的に支配できるのは、企業を開かれた競争へ委ねるよりも、自分が支配した方が価値を生み続けられる限りにおいてである。

法律は所有権を守る。

しかし市場は、その所有権の中身まで保障してくれない。

所有権は相続できる。経済的支配は、成果によって更新し続けなければならない。

市場の審判は、すぐには下らない

もっとも、市場が無能な経営者を即座に退場させるとは限らない。

巨額の内部留保がある会社、不動産収入を持つ会社、地域独占に近い会社、許認可によって守られている会社では、後継者が不適任でも長期間存続できる。

強いブランドや顧客の惰性も、企業の衰退を遅らせる。

先代が残した蓄積が大きければ、後継者一代分くらいは持ちこたえるかもしれない。

だが、それは後継者の能力が証明されたことを意味しない。

市場による審判が遅れているだけである。

その意味では、「企業の実体は相続できない」と言い切るよりも、次の方が正確だろう。

企業の実体は、成果なしに無期限には維持できない。

先代の蓄積は、経営能力の不足を隠すことができる。

しかし、それを永遠に置き換えることはできない。

競争のない私有財産は、封建領地になる

さらに重要なのは、競争市場が自然に維持されるわけではないことである。

成功した企業ほど、競争を避ける力を持つ。

競合を買収する。顧客をロックインする。規格やデータを囲い込む。政治へ働きかけ、参入障壁を作る。

競争の勝者は、ときに競争そのものを終わらせようとする。

したがって、国家の役割は、どの家の後継者が経営者にふさわしいかを直接判定することではない。

企業への挑戦可能性が失われないよう、競争の土台を守ることである。

外部不経済を放置しないこと。

独占による囲い込みを抑えること。

新規参入を不当に妨げさせないこと。

顧客や労働者が、現実に退出できる環境を作ること。

個々の経営者の能力は市場が判定する。

しかし、その判定が成立する競技場は、公共の制度として守らなければならない。

私有財産を認めることと、私的支配の永久固定を認めることは同じではない。

世襲を禁止する必要もない。

オーナー企業を解体する必要もない。

ただし、所有者が他者の挑戦を制度的に封じ、自分の子孫へ支配を固定しようとするなら、それは資本主義というより封建制へ近づいていく。

少なくとも競争的な資本主義が認めるのは、資産の相続である。

他人の服従の相続ではない。

会社は渡せる。会社であり続ける力は渡せない

父親は息子に株式を渡せる。

社長という肩書も与えられる。

会社の建物や預金、既存の契約も引き継がせられる。

だが、顧客に商品を買わせ続けることはできない。

従業員に能力を差し出させ続けることもできない。

取引先に信用させ続けることもできない。

社会にその企業を必要とさせ続けることもできない。

もし会社を、一人の人間を社会の評価から守るための避難所として使うなら、その避難所の維持費は、そこで働く人や取引先、顧客が払うことになる。

そして、彼らには退出する自由がある。

会社は相続できる。

だが、企業であり続ける資格は相続できない。

それは顧客、人材、資本、信用との関係の中で、毎日獲得し直さなければならない。

その意味で、すべての企業は公に還る。

正確には、すべての企業は、永遠に公の審判から逃れられない。

SDVのソフトウェアは更新できても、SoCは若返らない

Arene初採用の新型RAV4から考える、SDVの「寿命」

2025年12月17日、6代目となる新型RAV4が発売されました。

新型RAV4は、2.5Lハイブリッドシステムで最高出力240psを発揮し、荷室容量を従来型から16L拡大した749Lとするなど、SUVとしての基本性能も順当に進化しています。その一方で、今回とくに注目したいのが「知能化」です。トヨタのソフトウェアづくりプラットフォーム「Arene」が初めて車両開発に採用され、Toyota Safety Senseやコックピットのソフトウェアが刷新されました。(トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト)

センターディスプレイは12.9インチとなり、音声認識は従来比で約3倍高速化。話しかけてから約1秒で応答し、ナビやエアコンを操作できます。周囲を好みの視点から確認できる3Dパノラミックビューモニターも採用されました。Toyota Safety Senseでは認識範囲が広がり、交差点で陰から飛び出す車両の検知や、ドライバー異常時に路肩へ寄せて停車する機能などが加わっています。(トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト)

いかにも「ソフトウェアで進化するクルマ」らしい内容です。

しかし、ここで一つ疑問が生まれます。

クルマは10年以上使うのに、そのソフトウェアを動かすコンピューターは、10年後も新しい機能に耐えられるのでしょうか。


Areneは、SoCや単体の車載OSの名前ではない

まず整理しておきたいのが、Areneとは何なのかです。

Areneは、特定のSoCや一つの車載OSそのものではありません。Woven by Toyotaの説明では、主に次の三つで構成される「ソフトウェアを開発するためのプラットフォーム」です。

Arene SDKは、ソフトウェア部品をモジュール化し、設計・開発・評価・展開・保守の基盤を共通化します。Arene Toolsは、仮想環境やシミュレーションを使って、実車が完成する前からソフトウェアを検証するための仕組みです。Arene Dataは、同意を得た車両からデータを収集・分析し、機能改善やOTAアップデートにつなげます。

新型RAV4では、Arene SDKを使って音声対話サービス、センターディスプレイ、Toyota Safety Senseを開発し、Arene ToolsをToyota Safety Senseの検証に、Arene Dataを走行データの収集に利用しています。Woven by Toyotaは新型RAV4を「トヨタのSDVの出発点」と位置づけています。(Woven by Toyota)

つまりAreneの本質は、ソフトウェアを再利用しやすくし、開発と検証を速くし、販売後も改善しやすくすることにあります。

ただし、Areneがどれだけ優れた開発基盤でも、実際にソフトウェアを動かすのは車載コンピューターです。Areneによってソフトウェアとハードウェアの結びつきを弱めることはできても、CPUやGPU、メモリーの性能不足まで消せるわけではありません。


新型RAV4には、用途の異なるコンピューターが載っている

実際の自動車には、パワートレーン、ボディー制御、通信、メーターなどを担当する多数のECUやマイコンがあります。

そのうえで、今回の話に関係が深いコンピューターを大きく分けると、次の二つです。

一つは、カメラやレーダーの情報を処理し、車両や歩行者を認識するADAS用コンピューター

もう一つは、ナビ、センターディスプレイ、音声認識、メディア再生などを担当するコックピット/インフォテインメント用コンピューターです。

このうち、新型RAV4のADAS側については、搭載SoCが判明しています。


ADAS側は、ルネサスのR-Car V4H

新型RAV4のToyota Safety Sense用制御ユニットには、デンソーを通じてルネサスの「R-Car V4H」が採用されています。

R-Car V4Hは、前方カメラとレーダーのセンサーフュージョン、車両・歩行者・障害物の検出、ドライバーモニター、Advanced Park、パノラミックビューなどを処理します。3Dパノラミックビューについても、R-Car V4H内蔵GPUが前後左右のカメラ映像をリアルタイムに合成しています。(ルネサス)

主な仕様は、最大1.8GHzのArm Cortex-A76を4コア、リアルタイム処理用のCortex-R52を3コア、ディープラーニング性能が最大34TOPS。7nmプロセスで製造され、画像認識やコンピュータービジョン用の専用回路を備えています。(ルネサス)

Cortex-A76や7nmという言葉だけを見ると、2020年前後のスマートフォンを連想するかもしれません。しかし、R-Car V4HをGalaxy S20などと単純比較することはできません。

スマートフォン用SoCは、アプリ、Webブラウザー、ゲーム、カメラ、通信など、幅広い用途をこなすための汎用コンピューターです。一方のR-Car V4Hは、カメラ映像やレーダー情報を高速に処理する専用アクセラレーターを搭載したADAS向けSoCです。

汎用CPU部分の設計世代が近くても、得意な処理はまったく異なります。


インフォテインメント側はSnapdragon。ただし型番は非公表

インフォテインメント側について、Qualcommは新型RAV4が「次世代Snapdragon Cockpit Platform」を採用したと発表しています。

高解像度ディスプレイ、タッチインターフェース、音声操作などを、このSnapdragon Cockpit Platformが支えています。(クアルコム)

ただし、ここには重要な問題があります。

正確なSoC型番が公表されていません。

Qualcommの発表から分かるのは「次世代Snapdragon Cockpit Platform」ということまでです。具体的な製品名、性能グレード、CPU構成、RAM容量、ストレージ容量などは明らかにされていません。

そのため、新型RAV4がSA8295Pを搭載している、あるいはSnapdragon 888相当である、と断定することはできません。


仮に第4世代Snapdragon Cockpitなら、iPhone 12の時代感

新型RAV4の開発時期と、当時利用可能だった車載SoCから考えると、インフォテインメント側は第4世代Snapdragon Automotive Cockpit Platformに近い世代ではないか、と推測することはできます。

第4世代Snapdragon Automotive Cockpit Platformは2021年1月に発表されました。5nmプロセスを採用し、Performance、Premiere、Paramountという三つの性能帯が用意され、量産開始は2022年を目標としていました。(クアルコム)

同じころ、スマートフォンでは5nmプロセスのA14 Bionicを搭載したiPhone 12が登場しています。iPhone 12の発売は2020年10月です。(Apple)

したがって、仮に新型RAV4のコックピットが第4世代Snapdragon系であるなら、

iPhone 12が登場した2020~2021年ごろの技術世代

と表現することはできます。

ただし、これはあくまで「設計された時代が近い」という意味です。iPhone 12と同じ速度であるとか、同じベンチマーク性能であるという意味ではありません。

また、第4世代Snapdragon系であること自体も公式には確認されていません。新型RAV4専用の構成や、別のSnapdragon Cockpit製品である可能性も残ります。

ここで本当に気になるのは、SoCの型番そのものよりも、

将来の機能追加を売りにするSDVでありながら、将来性を左右するSoCやメモリー容量が購入者に開示されていない

という点です。


車載SoCは、スマートフォンほど急には陳腐化しない

もっとも、2020~2021年世代のSoCだからといって、新型RAV4のインフォテインメントがすぐに使い物にならなくなるわけではありません。

車載システムは、スマートフォンよりも動かす機能が限定されています。画面の枚数や解像度、接続される機器、利用するアプリもあらかじめ決められています。

スマートフォンのように、利用者が無数のアプリをインストールしたり、重いゲームを動かしたり、バックグラウンドサービスを増やしたりすることも基本的にはありません。

メーカーがハードウェア構成を把握したうえで、UI、ナビ、音声認識を専用に最適化できます。ADAS側についても、汎用CPUだけに依存せず、画像認識やAI処理を専用アクセラレーターへ割り振れます。

そのため、同じ世代のスマートフォンより、車載システムのほうが体感性能を長く維持できる可能性はあります。

新型RAV4に搭載された現在のナビ、音声操作、3Dパノラミックビューを動かすだけなら、十分な性能が確保されていると考えるのが自然です。


それでも、クルマと半導体では寿命が違いすぎる

問題は、現在の機能ではなく、将来追加される機能です。

自動車検査登録情報協会によると、2025年3月末時点で、軽自動車を除く乗用車の平均使用年数は13.35年です。新車を購入すれば、2030年代後半まで使うことも珍しくありません。(自動車検査登録情報協会)

一方で、半導体は数年で大きく世代交代します。

Qualcommが2024年10月に発表した最新世代のSnapdragon Cockpit Eliteは、車載向けに最適化したOryon CPUを搭載し、前世代の最上位製品に対して、CPU性能を約3倍、GPU性能を約3倍、AI性能を最大約12倍にすることを目標としています。サンプル提供は2025年からで、将来の量産車への採用が予定されています。(クアルコム)

もちろん、2025年末発売のRAV4へ、2025年にサンプル提供が始まったばかりのSoCを載せるのは現実的ではありません。

車載SoCを変更すれば、基板、電源、冷却、メモリー、ドライバー、ハイパーバイザー、機能安全、電磁ノイズ、耐久試験などを再設計・再検証する必要があります。完成間近の車両にスマートフォン感覚で新しいチップを差し替えることはできません。

むしろ、新型RAV4のハードウェアは、Areneを使った量産車を企画・開発し始めた時点で、現実的に選べた車載プラットフォームだったと考えるべきでしょう。

ただ、数年間でCPUが3倍、AI性能が最大12倍になるという事実は、車両寿命の途中で大きな性能差が生まれる可能性を示しています。


OTA対応でも、すべての新機能が届くとは限らない

トヨタは、新型RAV4について、将来的には複数機能の同時アップデートや、利用者ごとのカスタマイズを可能にすることを目指しています。Arene Dataも、車両データの収集とOTAアップデートを支える仕組みとして説明されています。(Woven by Toyota)

しかし、

OTAアップデートに対応していることと、将来登場するすべての機能を受け取れることは別です。

軽いUI改善、不具合修正、地図更新、音声認識モデルの調整などは、旧世代の車両にも提供しやすいでしょう。

一方で、次のような機能はハードウェア性能に強く依存します。

  • 車内で動作する生成AIや大規模言語モデル
  • 高精細な3Dナビゲーション
  • 複数画面を使った高度なグラフィックス
  • より大きなAI認識モデル
  • 高解像度カメラを前提とした運転支援
  • 新しいレーダーやセンサーを使う安全機能
  • 大容量メモリーを必要とする新しいOSやミドルウェア

CPU、GPU、NPU、メモリー帯域、RAM容量、ストレージ、カメラ性能が足りなければ、ソフトウェアだけで解決することはできません。

後発モデルには完全版を提供し、旧モデルには軽量版を提供する。あるいは、旧モデルにはその機能自体を提供しない。

SDVが普及すれば、このような「車種」ではなく「コンピューター世代」による機能差が増えていく可能性があります。


OTAの先駆者Teslaでも、ハードウェアの壁は越えられなかった

この問題をすでに経験しているのがTeslaです。

TeslaはOTAアップデートを積極的に活用し、販売後の車両へ新機能を追加してきました。現在も、車両の構成や地域に応じて、定期的にソフトウェアアップデートを配信しています。(Tesla)

しかし、Teslaでもハードウェアの世代差は解消できていません。

自動運転用コンピューターは、物理交換が必要になった

Teslaは、Full Self-Driving(Supervised)を購入したComputer 2.0または2.5搭載車に対し、Full Self-Driving Computer 3.0への交換を提供しています。

初期生産車の一部では、コンピューターだけでなくカメラも交換されます。つまり、将来の運転支援機能へ対応するためには、OTAだけでなく物理的なハードウェア交換が必要になりました。(Tesla)

Tesla自身も、現在提供されているFSDは運転者の監視を必要とするものであり、車両を自動運転車にするものではないと明記しています。(Tesla)

これは、AIモデルの進化によって、当初搭載していたコンピューターやカメラでは性能が足りなくなることがある、という分かりやすい事例です。

インフォテインメントでも、AtomとRyzenに機能差が生まれた

インフォテインメント側でも同じことが起きています。

Teslaは、2018年3月以前に製造された一部のModel S/Model X向けに、有償のInfotainment Upgradeを用意しています。アップグレードすると、動画ストリーミング、ゲーム、より高速なWeb表示、滑らかなタッチ操作などを利用できます。

言い換えれば、ソフトウェア更新だけでは十分な操作感や新機能を提供できず、インフォテインメントコンピューターそのものを交換する必要がありました。(Tesla)

さらに現在、Teslaの車載AIアシスタント「Grok」は、AMDプロセッサー搭載車を利用条件としています。ソフトウェアバージョンや通信環境に加え、AMDプロセッサーであることが公式の要件です。したがって、少なくとも現時点では、従来のIntel Atom搭載車は対象外となります。(Tesla)

Teslaは古い車両を一斉に切り捨てているわけではありません。比較的軽い機能は旧世代にも提供し、最適化や簡略化によって移植する場合もあります。

それでも、負荷の高いAI、3Dグラフィックス、高度な運転支援については、明確なハードウェア世代の境界が生まれています。

これはArene搭載車でも起こり得る問題です。


では、新型RAV4は「人柱」なのか

新型RAV4を、単純に「人柱」と表現するのは適切ではないと思います。

ADAS用のR-Car V4Hも、Snapdragon Cockpit Platformも、量産車への搭載を前提に耐熱性、消費電力、信頼性、機能安全、長期供給などを考慮した車載向け製品です。スマートフォン用SoCを急いで流用したような構成ではありません。

また、発売時点で提供されているToyota Safety Sense、ナビ、音声操作、3Dパノラミックビューなどは、そのハードウェアで動作することを前提に開発・検証されています。

その意味では、新型RAV4のハードウェアが未完成ということではありません。

一方で、新型RAV4がAreneを車両開発に採用した最初の量産車であることも事実です。長期間にわたるOTA運用、複数機能の同時更新、車種をまたいだソフトウェア再利用が、実際の市場でどのように機能するのかは、これから実績が積み上がっていきます。

したがって、新型RAV4は、

ハードウェアの実験車というより、Areneを使ったソフトウェア開発と長期運用の量産初号車

と見るのが近いでしょう。


Areneを目当てにRAV4を買うべきか

新型RAV4を、現在提供されている機能で評価するなら、十分に魅力的な車です。

現在のToyota Safety Senseに満足できる。12.9インチディスプレイや音声操作が使いやすい。CarPlayやAndroid Autoを中心に使う。RAV4としての走行性能、荷室、デザインが気に入っている。

そうであれば、将来のSoC世代を過度に気にする必要はありません。

反対に、

  • 購入後も高度な新機能が次々と追加される
  • 数年後の生成AI機能も利用できる
  • 10年後も最新車と同等のコックピット体験を得られる
  • Areneによってハードウェアの世代差がなくなる

といった期待を主な購入理由にするのは危険です。

Areneは、ソフトウェアの開発、検証、再利用、配信を改善します。しかし、購入時のCPU、GPU、NPU、RAM、カメラ、レーダーを新しくするものではありません。

Areneそのものに魅力を感じているのであれば、新型RAV4で得られた知見が反映され、より新しい車載コンピューターを搭載する後続のArene採用車を待つ選択にも合理性があります。

ただし、今後トヨタがSnapdragon Cockpit Eliteを採用することや、次のArene採用車が必ず大幅に高性能になることは、現時点では発表されていません。


ソフトウェアは更新できても、シリコンは若返らない

SDVによって、自動車は従来より長く改善できる製品になります。

不具合を修正し、UIを改善し、安全機能の制御を磨き、利用者に合わせて機能をカスタマイズする。Areneは、その開発と展開を速くするための重要な基盤です。

しかし、SDVになったからといって、ハードウェアの陳腐化がなくなるわけではありません。

むしろソフトウェアで提供される機能が増えるほど、購入時に搭載されているSoC、メモリー、ストレージ、センサーの性能が、将来受け取れる機能の上限を決めるようになります。

アップデート可能なクルマであることと、すべての将来機能が自分のクルマにも届くことは同じではありません。

新型RAV4は「買ってはいけない人柱」ではありません。

ただし、Arene初採用車であり、コックピットSoCの詳細や長期間のOTA方針はまだ見えていません。現在の機能と車としての完成度に納得して購入するのはよいでしょう。

一方、Areneによって10年以上にわたって最新機能が追加され続けることまで期待するなら、後続のArene採用車を待つという判断も、十分に合理的です。