はじめに
周りに言うと必ず数人はいる。「株?怖いからやってない」「なんか難しそうで」「損したらどうするの」。
気持ちはわかる。でも正直に言う。その「怖い」、意味がわからない。「稼げるのにもったいない」という話ではない。むしろ、人類の歴史を振り返れば、何らかの生産手段を持って生きることの方がずっと当たり前だったはずだ、という話だ。
資本主義の本質は「生産手段の私有」である
小難しい話から入るが、ここは外せない。
資本主義という経済システムの核心は何か。それは生産手段の私有だ。工場、土地、設備、技術——ものを生み出す仕組みを、個人や企業が所有できる。これが資本主義の出発点であり、根幹だ。
思想的にどう評価するかはいったん置いておく。現代日本に生きている以上、これが私たちのいるシステムの基本ルールだ。
「生産手段を持たずに生きる」とはどういうことか
では、生産手段の私有に一切関わらずに生きることはできるか。
そもそも「生産手段の私有」とは、生きる・活動する・暮らすための資源を生み出す仕組みを自身で保有する、ということだ。これは近代の資本主義が生まれる遥か以前から存在した概念である。騎士や武士なら領地・荘園、農民なら土地、漁民なら縄張り、商工業者なら店舗や工房——現代の大企業によるそれは、こうしたものを高度化・複雑化したに過ぎない。人類が「普通に暮らす」ことと生産手段の私有は、ずっと切り離せなかった。
現代日本でも同様だ。農家や漁師は土地・船・道具という生産手段を所有している。自給自足の民も、土地や農具という生産手段を私有している。
つまり、生産手段の私有から完全に距離を置いて「普通の生活」を送るルートは、現代日本にはほぼ存在しない。あるとすれば、それは貧困状態か、社会から切り離された自給自足生活か、そのどちらかだ。そんな当たり前で身近な概念なのに、なぜあえて難しく捉えた上で見当違いの誤解をし、株式投資を忌避するのか。正直、残念という感想しか出てこない。
株式投資は「間接的な生産手段の私有」である
ここで株式の話に戻る。
株式とは何か。企業の所有権の一部だ。企業は工場・設備・技術・人材を使ってものやサービスを生み出す。つまり株式を持つということは、生産手段を間接的に私有することにほかならない。
ここで重要な区別をしておく。
生産手段への投資(株式・不動産など)と、純粋な投機(FX・仮想通貨など)は全く別物だ。FXや仮想通貨は価格差益を狙うゲームであって、何かを生み出す仕組みへの参加ではない。債券も同様で、これは生産手段の私有ではなく貸し付けに近い。
話を株式に戻すと、現代ではインデックスファンドやNISAのような仕組みを通じて、少額から・手間なく・分散した形で株式を持てる時代になっている。資本主義システムに乗る敷居は、かつてないほど低い。国民の多くがその手に持っている板状の電子機器を少し操作し、マイナンバーカードを読み取らせれば取引を始められる時代だ。しかも少額投資非課税制度(NISA)まで用意されている。環境として、これ以上整っている時代はなかった。
それでも「やらない人たち」について
もちろん、やらない理由がある人はいる。
手元の資金がない。子育てや介護で頭がいっぱい。借金の返済が先決——そういう事情があるなら話は別だ。リソースが他に向いているのは理解できるし、批判する気もない。
問題は、そうでないのにやらない人だ。
ある程度の余裕はある。時間もある。でも「なんとなく怖い」「損したら嫌」「難しそう」で止まっている。
その「怖い」の正体を掘り下げたことはあるか。元本割れのリスクを具体的に計算したことはあるか。長期・分散・積立という基本を調べたことはあるか。
おそらくない。感情で止まっているだけだ。
100年前のダウ平均はどうだったか。米国マクドナルドが上場した1965年の株価は?——そういったことを一度でも調べたことがあるか。長期で持ち続けるということが何を意味するか、数字で見れば一目瞭然だ。
資本主義社会で普通に生活を送りながら、自給自足できるわけでもなく、作物を作っているわけでもなく、魚を獲っているわけでもないのに、資本主義の基本的な仕組みを「よくわからないから」と拒否するのは、かなり奇妙な態度だと思う。
自分たちが今の暮らしを維持できているのはなぜか。現役時代に貯めてきた日本円があるからか。では、その円の「数字」が減らなければ、自分が積み上げてきた「価値」も減らないと言えるのか。インフレという概念を知らないわけではないはずだ。数字は守れても価値は目減りする——本当はそれを薄々わかっていながら、今更受け入れるのが怖いだけではないのか。
もっとも、老後になって気づいても遅い。取れる選択肢はバリュー株投資か低コスト高配当インデックスファンド投資、債券くらいしかなく、残り時間を考えれば資産の多くを投資に回すこともできない。若いうちに始めた者との差は、もはや埋めようがない。
最後に
誤解しないでほしいのだが、「全員が株をやるべきだ」と言いたいわけではない。
理解した上でリスク許容度や状況を踏まえて「自分には今じゃない」と判断するのは、全然アリだと思う。それはよく考えてのことだから。
ただ、理解する前に拒否するのは思考放棄だ。
資本主義という大海かつ大自然の中で生きている以上、その海のルールを知ることは基本的なリテラシーだ。投資が本当に怖いかどうかは少しだけやってみて判断すればいい。